bookmark_borderへちまの花、咲くか?

今日の「真ん中の畑」、16時。一番育ちのいい株が、また一段と大きくなっていた。大雨の降った翌日からここ数日は暑く、30度を超えている。そしてまあまあの日差しが照りつけるなかで、一気に育ったという感じだ。それにしても適当に撮ったというのに、iphoneカメラは優秀である。こんなに背景ボケるのね。

花びららしきものが黄色く蕾んで、さあ咲くぞ咲くぞいつでも咲いてやるぞという感じで態勢を整えている。もはや多くの時間を要すまでもないだろう。

ところで、では、その蕾の首元にいくつもあるゴツゴツはなんなのだろうか。これも蕾の元なのだろうか。こいつらもこれから花になるのだろうか。それともなにか別の役割を持っているのだろうか。

私がへちまのことを理解するには、まだまだ多くの時間が必要のようである。

bookmark_borderへちま、伸びる。

昨日は大雨が降った山形市内。異常な天気の続く2019年。東北はまだ梅雨明けせず。

今朝の空は雲はあるけれども晴れ間もすこし出ていました。早くも蒸し暑い朝6時頃、「真ん中の畑」と呼んでいる畑を少し見て回ってきました。

ようやく、ひと株だけ、2メートルほどの背丈まできました。この株、まだ花は咲いていないのです。これから花が咲いて、うまく受粉することができると、ようやく実をつけることになるのだろうと思います。大きなへちまが成るための道のりはまだ遠いのです。ここで生き残ったわずかな株たちの成長が、順調であることを願うばかりです。

伸びたツルの先にトンボが停まっておりました。見渡せばいつのまにかたくさん飛んでるのです。昨日までは全然気づかなかったし、雨ばかり続いてますが、それでも夏はちゃんと夏らしくなろうとしています。

先日ネットで購入した沖縄産へちま(食用)のネットショップに「たわし用の成熟したへちまを購入させてもらえないだろうか」という相談のメールをお送りしたところ、「残念ながら成熟する前に全て収穫してしまうので」というお返事をいただきました。なるほど、やっぱり全て食用なんですね。丁寧に対応していただいて嬉しかったのですが、入手できずに残念でした。

今年は、私の畑でどれだけの実を成らすことができるのか、まるで想像がつきません。ゼロの可能性もあります。でも、もしかしたら50本くらい成るという可能性だってあると思います。どうなることかわかりません。予想がつきません。だからこそ、買えるものなら買っておきたいとも思うのです。

周りでへちまを作っている人はないか、売っているところはないか、もう少し探してみるつもりです。こんな予定じゃなかったけど、今年は畑の準備も、タネからの芽出しも、いろいろと準備不足だったことに起因していると思います。「段取り八分」といつも語る北村くらた農園の北村くんの言葉が思い出されます。

bookmark_borderようやく手のひらサイズまできた。

2019年7月20日。朝8時に畑。へちまのツルが伸びて、葉が私の背丈を超えたところにまで来ていて、手のひらくらいの大きさにまで大きく育っていました。うれしい。ここまでくれば、このままうまく実がつくところまで行ってくれるんじゃないかという希望的観測が(勝手に)強まります。

大きくなったこの株のそばには、すでに枯れてしまった株の残骸が残っています。せっかく地上50センチくらいにまで成長し、花も咲かせた株だったのに、ある日突然枯れていました。理由はわかりません。

水分が多すぎたことによる根腐れかもしれません。あるいは根元にはたくさんのダンゴムシがいたから、根を食べられたのだろうかとも思いましたが、そんな想像が可能性としてありうるのかすらわかりません。いずれにせよ、たくさんのタネをまき、発芽して育ったものを植えたし、出羽園(地元山形市の園芸店)で見つけた苗を買い、それを植えもしたわけですが、そのうち順調に育ったものの確率は1/2以下、という印象です。来年からは、ちゃんとそういうことも見越した上で、苗を育てないと。

さて、今年は6月から曇りや雨の日が続き、日照時間も短く、気温も低く、というのが7月下旬になろうとしている今日までまだ続いていますから、気象条件がひどく悪いことはまちがいありません。それに加えて、ここの畑の土もよくないのです。粘土質で、水はけが悪い。栄養的にどうなのかも私にはわかりません。どこに改善のポイントがあるのかすら、全然わからないでいるのです。うーむ。ムムム。。

bookmark_border伸びる触手。

畑で時を過ごし、植物の生育をじっと眺めると、生き物というのは本当にすごい。

植物という「動かざるもの」のようなこの生物が、生きようとして必死に手を伸ばしている。掴んだロープをぎゅっと握りしめて、えいやっ!とまた上に行こうとしている。

その触手が掴む網は、私がつどつど麻紐を適当に結びつけてつくっている。「ここらへんかな?」と、次に伸ばすであろう場所に麻紐を結びつけてゆくその作業は、対話のようですごく楽しい。

bookmark_border敵か味方か、ダンゴムシ。

ズボラな性格のせいもあって、畑には草がボーボーである。あまりに伸びすぎたら刈るが、基本的には雑草が生えているのは当たり前だと思っている。手入れの行き届いた誰かの畑は、こまめに雑草がかっちゃかれているのに対して、私の畑はいつも雑草だけはとても豊かなのである。よく言えば「多様性を大事にしたい」。

へちまの根元を見ると、ダンゴムシがうようようよとひしめいていた。こいつらは何をしているのだろうか? へちまの根元にいるのは、たまたまなのだろうか? 何日か前には、隣の株が枯れてしまっていたのだが、もしかするとこいつらの仕業なのだろうか? それとも、こいつらがここにいるのは偶然なのだろうか? あるいは、こいつらは何かを食べ、排泄をするのであろうから、それはへちまにとっていいことなのだろうか? こいつらに対する態度をどうしたらいいのか、まるでわからないでいる。

bookmark_borderへちまが、枯れている。

「大きくなっているかな〜?」なんて、ワクワクした気持ちで畑に来てみたら枯れていた、というのは悲しい出来事である。

「元気がなくなっていた」のだったら、水をやるとか、肥料をやるとか、なんとかしようもあるのだろうが、葉も茎も茶色くなってしまっているからもはやこれは復活のしようがないだろうと諦めの心境になるのも無理のない、というところまできている。

水が多すぎると根腐れする、という話を聞いたことがあるから、それかもしれない、と思う。ここは水はけの悪い畑なのである。この土壌を改良することは私には至難の技である。

だが、何かしら手を打たねば、来年以降も同じことの繰り返しになってしまうことだろう。

bookmark_borderへちまの花が咲いた。

畑に来て見ると、突然花が咲いているものだから驚いた。この前来たときにはそんな予感すら感じなかった。うれしいサプライズ。

たぶん、この花が受粉すると、こんどは実をつけるんだろうと思う。けれど、思うだけで、どうしたらいいのかわからない。美しく咲いたへちまの花を前に、私はどうしたらいいのかわからなくて、タジタジして、もじもじするばかりで、そして途方にくれている。

bookmark_border木製プランターを自作する。

脱プラスチック農業にトライアルしたい我らが「へちまプラネット計画」なので、プランターもやっぱりプラスチックではないものを選びたい。

が、これが意外と、選択肢が見つからない。ホームセンターに行ってもなかなか出会わない。だいたいがプラスチックである。そういうわけで、自作してみることにした。ホームセンターで幅15センチくらい長さ2メートルくらいの板が10枚束になったのが1000円ちょいで売っていたので、それを購入。合わせてのこぎりと釘を購入。んで、適当に作業をスタートさせた。

もともとこういうのが苦手な私には、予想をはるかに超えて大変な作業だった。箱になるような設計をするのも、正確に長さを測ることも、のこぎりで綺麗に切ることも、直角をうまく作るのも、板と板とを繋ぐのも、立体を作り出すのも、強度を出すのも、とにかく全てが雑で下手。

木製プランターを作るために要した時間は半日を超えた。材料費は1000円ちょっとで済んだとしても、ちょっと大変すぎる。2000円で既製品が買えるのなら私はそっちを選びたい。

完成したプランターは、写真で見るとそんなに悪くないが、細かく見るとひどいものである。脱プラスチック農業への道のりは遠いのだ(写真のプランターの周りにプラスチックがじつは色々あるし)。