bookmark_borderへちまの花、咲く。

「咲くか?」と思ったのが昨日。そして今日、「真ん中の畑」へ行ってみるとやはり咲いていた。見事にまあ、ぱっかーん、と咲いたもんだ。あとは実を結んでくれることを祈るばかりですな(祈るほかにどうしていいかわからない)。

朝6時からもう蒸し暑いなかを、この日は小一時間ばかり電動草刈機で草刈り。汗がばしゃばしゃと体じゅうから噴出する。土の表面はものすごい雑草地獄である。ここの畑のなかでも特に泥のような粘土質の土質のエリアで、うまく切り拓けずにいるところに、さまざまな雑草がみっしりと生え揃っているのだ。それを丁寧にヴィ〜ンと草刈りしていく。たいして面白い作業ではないが、ダイエットだと思って楽しく畑仕事している。汗が滴るのも、痩せゆくプロセスと思えば心地いい。草刈りが終わるとすでに腕時計に付属している万歩計は10,000stepsをゆうに超えていた。いいものである。

ミニトマトの収穫もけっこうな数になってきた。収穫するたびに冷凍保存している。まもなく、それらは自家製トマトソースになる予定である。

bookmark_borderへちまの花、咲くか?

今日の「真ん中の畑」、16時。一番育ちのいい株が、また一段と大きくなっていた。大雨の降った翌日からここ数日は暑く、30度を超えている。そしてまあまあの日差しが照りつけるなかで、一気に育ったという感じだ。それにしても適当に撮ったというのに、iphoneカメラは優秀である。こんなに背景ボケるのね。

花びららしきものが黄色く蕾んで、さあ咲くぞ咲くぞいつでも咲いてやるぞという感じで態勢を整えている。もはや多くの時間を要すまでもないだろう。

ところで、では、その蕾の首元にいくつもあるゴツゴツはなんなのだろうか。これも蕾の元なのだろうか。こいつらもこれから花になるのだろうか。それともなにか別の役割を持っているのだろうか。

私がへちまのことを理解するには、まだまだ多くの時間が必要のようである。

bookmark_borderへちま、伸びる。

昨日は大雨が降った山形市内。異常な天気の続く2019年。東北はまだ梅雨明けせず。

今朝の空は雲はあるけれども晴れ間もすこし出ていました。早くも蒸し暑い朝6時頃、「真ん中の畑」と呼んでいる畑を少し見て回ってきました。

ようやく、ひと株だけ、2メートルほどの背丈まできました。この株、まだ花は咲いていないのです。これから花が咲いて、うまく受粉することができると、ようやく実をつけることになるのだろうと思います。大きなへちまが成るための道のりはまだ遠いのです。ここで生き残ったわずかな株たちの成長が、順調であることを願うばかりです。

伸びたツルの先にトンボが停まっておりました。見渡せばいつのまにかたくさん飛んでるのです。昨日までは全然気づかなかったし、雨ばかり続いてますが、それでも夏はちゃんと夏らしくなろうとしています。

先日ネットで購入した沖縄産へちま(食用)のネットショップに「たわし用の成熟したへちまを購入させてもらえないだろうか」という相談のメールをお送りしたところ、「残念ながら成熟する前に全て収穫してしまうので」というお返事をいただきました。なるほど、やっぱり全て食用なんですね。丁寧に対応していただいて嬉しかったのですが、入手できずに残念でした。

今年は、私の畑でどれだけの実を成らすことができるのか、まるで想像がつきません。ゼロの可能性もあります。でも、もしかしたら50本くらい成るという可能性だってあると思います。どうなることかわかりません。予想がつきません。だからこそ、買えるものなら買っておきたいとも思うのです。

周りでへちまを作っている人はないか、売っているところはないか、もう少し探してみるつもりです。こんな予定じゃなかったけど、今年は畑の準備も、タネからの芽出しも、いろいろと準備不足だったことに起因していると思います。「段取り八分」といつも語る北村くらた農園の北村くんの言葉が思い出されます。

bookmark_border畑の多様性と、隣との関係性。

山形市内のとある果樹農家さんを訪ねた。シャインマイスカットを育てていた。地上2メール弱の高さに広がる棚から、どわーっと美しく、明るい緑色したぶどうが垂れ下がっているのは圧巻の光景だった。もうずいぶんそれらしい外見をしているのに、収穫まではまだ2ヶ月もあるという。最終的には、一粒ひとつぶが15g以上にまで大きくなり、房としての形が美しい紡錘形を描くと、ようやく良いお値段がつくのだという。そこに至るまでの、ひと房から一粒のぶどうを摘果する作業などを拝見し、ぶどう農家さんの仕事が大変なものであることを、ほんのわずかの時間ではあるが教えていただいた。すごいものである。

その農家さんとのおしゃべりのなかに、「ずいぶん昔に有機農業をめざしていた」という話があった。農薬を使わず、雑草も取らず、畑をできるかぎり自然にまかせるような環境にしてみたのだという。そしたら、隣近所の農家から文句を言われるようになった。周りの農家さんたちは当たり前のように除草剤を使ったり、無駄な雑草を生やさないように生やさないようにしているから、「お前の畑から雑草の種が飛んでくるじゃないか、迷惑だからやめろ」と苦情が殺到したらしい。そうした批判が日に日に強くなり、根負けして、有機農業をめざすことを諦めたことがあったのだ、という話であった。

私も山形市内に2箇所ほど畑を借りているが、そのうちのひとつは、やはり隣の人が全く雑草を生やさない人で、いつも文句ありげな顔でこっちを見てくるからよくわかる。雑草が許せないし、隣から雑草の気配が漂うことが許せないのである。根本的に求めている世界が違うということは、やはり喧嘩の種になってしまうのである。

ちなみに私は雑草容認派である。除草剤や防虫剤の薬品も(今のところ)使わない。肥料は適当に使う。化成肥料を買うことも、市販の油かすを買ってくることもある。あとは、珈琲店をやっている友人の珈琲かすを畑に撒いている。あまり厳密であろうとする気はない。畑は世の中である。ほどよく自由で、多様な生き物が生きられる環境のほうが、なんとなくいい気がする。街と同じである。でも、それも、直感的なものに過ぎない。ただし、できるだけプラスチックを使用しない農業をしたい。それだけがかろうじてのポリシーだと思っている。

 

bookmark_borderたわしにするには未熟。

ネットで購入した食用の沖縄産へちまを沸騰したお湯で30分ほど煮てみました。おそらくはそれで、イージーに、へちまたわしになってくれるだろうと思っておりました。

しかし残念ながら、30分煮た後に皮を剥がしてなかを見てみると、肝心の繊維質がどうやら未発達なようなのです。この写真を見れば、ちゃんと糸状の繊維が見えるじゃないかとあなたは言うかもしれませんが、これではまだ全然ダメなのです。このあとよーく洗って、なかにある種などを出してみたのですけど、まるで立体的になりません。ベロンとして、ペッチャンコで、カタチをなさないのです。これでは、たわしになりそうな予感も気配も全くありません。

つまり、へちまが「食用」であるということは、繊維質が未発達だからおいしく食べられる、ということなのでしょう。

ということで、初めての「へちまたわし」づくりは、失敗です。失敗のだいぶ手前の失敗、という感じです。もっともっと大きいサイズにまで育ってもらってからでないと、たわしにはならないのです。多分。

へちまプラネット計画の道のりは、まだまだ相当に、だいぶだいぶ遠いのです。

bookmark_borderようやく手のひらサイズまできた。

2019年7月20日。朝8時に畑。へちまのツルが伸びて、葉が私の背丈を超えたところにまで来ていて、手のひらくらいの大きさにまで大きく育っていました。うれしい。ここまでくれば、このままうまく実がつくところまで行ってくれるんじゃないかという希望的観測が(勝手に)強まります。

大きくなったこの株のそばには、すでに枯れてしまった株の残骸が残っています。せっかく地上50センチくらいにまで成長し、花も咲かせた株だったのに、ある日突然枯れていました。理由はわかりません。

水分が多すぎたことによる根腐れかもしれません。あるいは根元にはたくさんのダンゴムシがいたから、根を食べられたのだろうかとも思いましたが、そんな想像が可能性としてありうるのかすらわかりません。いずれにせよ、たくさんのタネをまき、発芽して育ったものを植えたし、出羽園(地元山形市の園芸店)で見つけた苗を買い、それを植えもしたわけですが、そのうち順調に育ったものの確率は1/2以下、という印象です。来年からは、ちゃんとそういうことも見越した上で、苗を育てないと。

さて、今年は6月から曇りや雨の日が続き、日照時間も短く、気温も低く、というのが7月下旬になろうとしている今日までまだ続いていますから、気象条件がひどく悪いことはまちがいありません。それに加えて、ここの畑の土もよくないのです。粘土質で、水はけが悪い。栄養的にどうなのかも私にはわかりません。どこに改善のポイントがあるのかすら、全然わからないでいるのです。うーむ。ムムム。。

bookmark_border伸びる触手。

畑で時を過ごし、植物の生育をじっと眺めると、生き物というのは本当にすごい。

植物という「動かざるもの」のようなこの生物が、生きようとして必死に手を伸ばしている。掴んだロープをぎゅっと握りしめて、えいやっ!とまた上に行こうとしている。

その触手が掴む網は、私がつどつど麻紐を適当に結びつけてつくっている。「ここらへんかな?」と、次に伸ばすであろう場所に麻紐を結びつけてゆくその作業は、対話のようですごく楽しい。

bookmark_border敵か味方か、ダンゴムシ。

ズボラな性格のせいもあって、畑には草がボーボーである。あまりに伸びすぎたら刈るが、基本的には雑草が生えているのは当たり前だと思っている。手入れの行き届いた誰かの畑は、こまめに雑草がかっちゃかれているのに対して、私の畑はいつも雑草だけはとても豊かなのである。よく言えば「多様性を大事にしたい」。

へちまの根元を見ると、ダンゴムシがうようようよとひしめいていた。こいつらは何をしているのだろうか? へちまの根元にいるのは、たまたまなのだろうか? 何日か前には、隣の株が枯れてしまっていたのだが、もしかするとこいつらの仕業なのだろうか? それとも、こいつらがここにいるのは偶然なのだろうか? あるいは、こいつらは何かを食べ、排泄をするのであろうから、それはへちまにとっていいことなのだろうか? こいつらに対する態度をどうしたらいいのか、まるでわからないでいる。