山形市内のとある果樹農家さんを訪ねた。シャインマイスカットを育てていた。地上2メール弱の高さに広がる棚から、どわーっと美しく、明るい緑色したぶどうが垂れ下がっているのは圧巻の光景だった。もうずいぶんそれらしい外見をしているのに、収穫まではまだ2ヶ月もあるという。最終的には、一粒ひとつぶが15g以上にまで大きくなり、房としての形が美しい紡錘形を描くと、ようやく良いお値段がつくのだという。そこに至るまでの、ひと房から一粒のぶどうを摘果する作業などを拝見し、ぶどう農家さんの仕事が大変なものであることを、ほんのわずかの時間ではあるが教えていただいた。すごいものである。
その農家さんとのおしゃべりのなかに、「ずいぶん昔に有機農業をめざしていた」という話があった。農薬を使わず、雑草も取らず、畑をできるかぎり自然にまかせるような環境にしてみたのだという。そしたら、隣近所の農家から文句を言われるようになった。周りの農家さんたちは当たり前のように除草剤を使ったり、無駄な雑草を生やさないように生やさないようにしているから、「お前の畑から雑草の種が飛んでくるじゃないか、迷惑だからやめろ」と苦情が殺到したらしい。そうした批判が日に日に強くなり、根負けして、有機農業をめざすことを諦めたことがあったのだ、という話であった。
私も山形市内に2箇所ほど畑を借りているが、そのうちのひとつは、やはり隣の人が全く雑草を生やさない人で、いつも文句ありげな顔でこっちを見てくるからよくわかる。雑草が許せないし、隣から雑草の気配が漂うことが許せないのである。根本的に求めている世界が違うということは、やはり喧嘩の種になってしまうのである。
ちなみに私は雑草容認派である。除草剤や防虫剤の薬品も(今のところ)使わない。肥料は適当に使う。化成肥料を買うことも、市販の油かすを買ってくることもある。あとは、珈琲店をやっている友人の珈琲かすを畑に撒いている。あまり厳密であろうとする気はない。畑は世の中である。ほどよく自由で、多様な生き物が生きられる環境のほうが、なんとなくいい気がする。街と同じである。でも、それも、直感的なものに過ぎない。ただし、できるだけプラスチックを使用しない農業をしたい。それだけがかろうじてのポリシーだと思っている。