bookmark_borderへちまたわしのための文言。

まちの耕作放棄地の草を刈り、土を耕し、種をまきました。育つ「へちま」は、棚を覆い、緑のカーテンのような風景を生み出してくれました。そんな「へちま」でつくった「たわし」です。農薬もプラスチックもたいした肥料も使わない、だいぶナチュラルな農業です。着色料も、漂白剤も使わない、だいぶナチュラルなたわしです。

bookmark_borderGreta Thunbergから学ぶこと。

COP24のGreta Thunbergのスピーチを見て最初に思ったのは、なんだか面白い態度だな、ということだった。世界の指導者みたいな人たちを前に、「あんたたちはどーせなんにもしないんでしょ」と、高校生になった娘がサエない父親に向かってボソッと吐くようなダメ出しする。これを、世界の舞台で繰り出す。すごいワザである。

子どもが大人に向かって、お願いをするでもなく、提案をするでもなく、ダメ出しをする。あるいは、あきれていることを伝える。かつて橋本治が『上司は思いつきでものを言う』のなかで、「思いつきでものを言う上司に対して「ええーっ!?」と語尾をすっとんきょうに上げてあきれなさい」と言っていたのとどこか似た作戦のような気がした。

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You say you love your children above all else, and yet you are stealing their future in front of their very eyes.

Until you start focusing on what needs to be done rather than what is politically possible, there is no hope. We cannot solve a crisis without treating it as a crisis.
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We have not come here to beg world leaders to care. You have ignored us in the past and you will ignore us again.

We have run out of excuses and we are running out of time.

We have come here to let you know that change is coming, whether you like it or not. The real power belongs to the people.
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理屈を語るでもなく、情熱を見せるでもなく、ただ堂々と上から目線でダメ出しをする。この表情、この口元。すごいものである。

bookmark_borderへちまプラネット計画に関する断片1

ここ数年、いや10年以上、農業に触れて来た。山形市内に100坪ほどの畑を2箇所借りて、鍬で耕し、ホームセンターで買って来たトマトだとかきゅうりだとかマンガンジだとかニンニクだとかを植えては、不細工な野菜を収穫したりしていた。週末には、西蔵王で趣味で農業をやっているおじさんの手伝いをし、土壌の豊かさや手入れや肥料によってこんなにも違うふっくらとした野菜ができるのかといつも驚いたりもした。夏になれば10年以上の付き合いにもなる酒田の北村くらた農園に数日住み込んで、朝から枝豆の収穫をし、脱サヤして、洗って、その場で直売する現場を手伝ったりもした。

そうした経験を積み重ねて来ての偽らざる心は、「農業で食っていくのはマジむずかしい!」というものだった。ひとりで農業にチャレンジしてみたいという気持ちをここ数年持っていた。しかし、機械を買ったり機械を使ったりするのは好きじゃないし、上手に土を耕すことも管理することもできないし、何を育てればいいのかもわからなかったし、金を稼げる算段がまるでつかなった。販売もむずかしく思えた。農協のようなところに出荷するのも、直売するのもどちらもとんでもなくハードルが高く感じられた。そしてまずなにより、野菜をつくるのが猛烈に下手くそだったのだ。

それでも、私は、耕作放棄地が広がるこの地元の山形で、この美しい風景を残すような農業がしたいという気持ちを募らせるようになった。それはここ1年くらいの間に特に強まった。そしてまた、グレタ・トゥーンベリのCOP24のスピーチを聞いて以来、環境問題に取り組む姿勢を自分もきちんと持ちたいと思うようになった。さらには、世の中のプラスチックをもうこれ以上増やさないためのアクションも起こしていかなければならないと思った。そうしたことを考えているうちにたどり着いたのが「へちま」であった。へちまなら作れるんじゃないか。へちまならビジネスにもなりうるんじゃないか。へちまなら未来のためになるんじゃないか、と。今の私の目には、へちまは、救世主のごとく映っている。しかし、いざはじめてみると、そう簡単なものでもなかったのだが。