bookmark_borderへちまたわしの色。

これは、今つくりかけのへちまたわし。乾燥途中です。

2019年の私のへちまたわし試作品のつくりかたには大きく二つあって、ひとつはへちまを沸騰したお湯で煮ることによって実を溶かすやりかた。もうひとつはへちまをたっぷりの水の入った大きなバケツに浸けて実を腐らせるやりかた。この写真のものは、後者のやりかたでつくったものです。

実を腐らせるというこの方法には大きな欠点があって、それは「くさい」ということ。水の中に長時間(それは1ヶ月以上にもなったかなー。。。)浸けておくと、バケツの中すべてがまあくさくなるわけです。腐っているから当然ですけど。

触るのも大変。へちまを洗うのも大変。水を捨てるのも大変。バケツを洗うのも大変。服にでもついたらまあ大変。というわけで、できればこの方法ではあんまりやりたくないな、と思いましたね。ただし、なんとなくの印象ですが、最終的に残存するへちまたわしから見ると、負担の少ないやり方のようにも思えました。出来上がりのへちまたわしの形に無理がないというか、外から加えられた圧力の形跡が少ないですよね、やっぱり。

沸騰したお湯によってつくるやり方だと、どうしても短時間でつくるので、皮をぐいっとヘッペ返したり、ムリムリっと洗ったり、ぎゅっと絞ったりしているうちにちょっとクタクタ感が生まれたりしがちなんですね。

んで、あと、私が今、へちまたわしの試作品を見ていて、不思議というか、どうしたらいいのかと悩むのは、へちまたわしの「色」なんです。なんというか、それほど綺麗な色に落ち着かないんですよね。やや薄汚れ系の白、薄汚れ系のアイボリー、、という感じで、透明感もないし、美しい感じにならないんですね。これが自然なんだからこれでいいじゃん、という気もするけど、自然なやり方でもう少し美しく仕上がるんじゃないか、という気もするんです。よく洗う、という工程を取り入れなきゃいけないのかもしれません。

試行錯誤がつづきます。

bookmark_border10年前に母がつくったという、へちまたわし。

これは私がつくったものではありません。現在77歳になる母が「10年くらい前に私がつくったものよ」と、くれたものです。40半ばにして急にへちまに目覚めた息子に、見せたくなったのでしょう。ありがたいことです。たぶん、親子なだけあって、すこし性質も似ているのでしょう。こういうのを面白がるところ、とか。土や植物いじりが好きなところ、とか。父親のほうは、へちまにはまったく興味を示しませんが。

さて、母のこのへちまたわし。その「色」が気になっています。なぜこんなにも黄色がかっているのでしょうか? ゴールドのようにさえ見えます。今シーズン、私が自分で育てたへちまでつくるたわしはどれも、もっと白い色をしているか、すこしグレーがかったようなくすんだ色をしています。なぜこんな色をにじませているのでしょう。品がいいというか、風格があるように見えます。時間の経過によるものなのでしょうか。まったくわかりません。

色だけでなく、繊維もしっかりしていて、乾かし方も上手で、私がつくるものよりずっと良いもののように思えますね。

お前はまだまだだよ、とこのたわしが語りかけてくるような、そんな気さえしてきます。

bookmark_borderへちまたわしを庭先に干す。

妻は「やめてくれ!」と叫びましたね。

朝からへちまが茹でられているのを見るのも嫌だし、匂いが部屋に広がるのも嫌。旦那がそれに夢中になっている姿を見るのも嫌で、最後には庭先にへちまが干されているのを人に見られるのも嫌。ということです。

よくわかります。

けれど、私はこれが仕事だと思っているから仕方がないのです。へちまは、これからの地球にとって、私たちの暮らしにとって、未来の子どもたちにとって大切なものになる、と思っているから。だから、妻の叫び声を無視して、庭先にへちまたわしを干しています。

いいへちまたわしになりますように。願いを込めて。

bookmark_borderへちまたわし2号_ Hechima Tawashi Opus 2

2019年へちまたわし試作第2号です。
(第1号についてはこちら
素材はこの子です。この写真を撮った直後、2019年10月7日収穫!

すくっとスリムにまっすぐに伸びて、長さは70センチほど。

へちま

んで、こいつをそのまま茹でたいところですけど大きすぎて全然お鍋に入らないので、今回は4つに切ってから沸騰したお鍋で茹でます。約30分。

へちま断面

切った断面。真っ白な身とタネがぎっしりです。本当にでっかいきゅうりとかゴーヤみたいな感じです。さあ、こいつを茹でていきます。

へちま茹でる

茹でて時間が経つと、身が透明になって溶けていきます。そして繊維質だけが見えて来るようになります。

へちま断面

左は茹で始めのへちま。右は茹でて30分近く経ったへちま。そして、、、

へちまを茹でる

茹でて熱々になったへちまをお鍋から取り出し、冷たい流水を浴びせながら皮をむいていきます。

そしてよーく綺麗に中の方まで洗って洗っていくと、身の溶けたものらしきものやタネが流れ出て、最後にたわしらしきものが残ります。

そしてあとはそれを絞って、干して、乾燥させる、というプロセスです。

へちまたわし

とまあ、こんな感じ。

あとは乾燥させてから出来栄えをチェックすることにしましょう。

bookmark_borderへちまたわしを作ってみた。

コードナンバー、【19-001】はこうなりました。

その直前は、

へちま茹でる

こんな感じで、寸胴鍋で茹でられておりました。

へちまが大きすぎてはみ出すので、下半分を茹でてから上半分、というように2段階に分けて茹でました。

元々はこれです。

畑のへちま

 

bookmark_borderへちまたわし失敗作。

以前「たわしにするには未熟」というタイトルの記事で、沖縄産の食用へちまでのたわし作りチャレンジのことを報告しました。まさにそのタイトルが指し示す通り、食用のへちまはまだまだ未熟で繊維質が発達していないため、たわしには不向きであることが発覚したのでした。あの記事では、へちまを茹でて皮をむいたところまでをレポートしましたが、当然ながら「その続きの物語」が存在します。

繊維が未発達すぎることを自分の手と目で否応なく理解し、こりゃ全然ダメだなーってがっかりしながらも、「もしかしたらこれを乾燥させればふっくらと立体化して見事なたわしにトランスフォームしてくれるのかもしれない」という淡い期待を抱いて、私はその、茹で上げた後に水洗いしてびちょびちょになった、まるでたわしらしくないへちまたわしを、玄関前に広げた新聞紙の上にそっと置いて、日陰で自然乾燥させることにしたのでした。もちろん妻からは「ちょっと!! ヘンな気持ちの悪いものを玄関前に置かないでよ!」という有難いコメント(罵声?)も頂戴し、無言の背中でしっかりと受け止めました。

そして後日、出来上がったのが、上の写真です。

なんというか、、、かんぴょうのような、かんぴょうにも程遠いような、とにかく素晴らしくみすぼらしく、なににもなることができなかったなにか、が完成したのです。ちなみにこの「へちまたわし崩れ」は2本あったのですが、そのうちの1本は我が家で飼っている犬に食べられたそうです。もちろんその時、妻は「ちょっと!! ギン(犬の名前)! そんなヘンな気持ちの悪いもの食べちゃ絶対ダメ!! お腹壊すよ!」と叫んだのだそうです。

へちまたわしへの道のりは、はるか遠く、まだまだ続きます。

bookmark_borderたわしにするには未熟。

ネットで購入した食用の沖縄産へちまを沸騰したお湯で30分ほど煮てみました。おそらくはそれで、イージーに、へちまたわしになってくれるだろうと思っておりました。

しかし残念ながら、30分煮た後に皮を剥がしてなかを見てみると、肝心の繊維質がどうやら未発達なようなのです。この写真を見れば、ちゃんと糸状の繊維が見えるじゃないかとあなたは言うかもしれませんが、これではまだ全然ダメなのです。このあとよーく洗って、なかにある種などを出してみたのですけど、まるで立体的になりません。ベロンとして、ペッチャンコで、カタチをなさないのです。これでは、たわしになりそうな予感も気配も全くありません。

つまり、へちまが「食用」であるということは、繊維質が未発達だからおいしく食べられる、ということなのでしょう。

ということで、初めての「へちまたわし」づくりは、失敗です。失敗のだいぶ手前の失敗、という感じです。もっともっと大きいサイズにまで育ってもらってからでないと、たわしにはならないのです。多分。

へちまプラネット計画の道のりは、まだまだ相当に、だいぶだいぶ遠いのです。