bookmark_borderへちま苗のツル、伸びる。

この苗は、自分で育てたものではなく、つい先日、ホームセンターで買ったもの。自分で芽出ししたへちま苗は、まだ2枚くらいしか葉が出ていないのに、売られていたものはすでに何枚もの葉が出ていて、ツルの触手もいかにも元気に伸びるぞって感じでした。全然、成長のスピードが違っている、という印象。こういうのはやっぱり、条件のいい温室で育てているからこんなに早く大きくなるのでしょうか。でも、もしかしたら、ぼくの芽出しが遅すぎるのかもしれないけど。あと、育苗ポットが小さすぎるのかな、とも最近疑いつつ…。

買った苗は、5本。ひとつ、250円くらい。意外と高い、という印象。でも、へちま苗には、少なくとも山形市内では滅多に出会うことができません。人気のある苗ではないのです。だから出会えただけラッキー。買えるなら、買えるときに買います。

この写真は、その苗を定植して3日目のもの。土塊が、ごわごわしていますね。やや粘土質の土壌で、機械を使わずに鍬で土起こししているので、あまり細かく粉砕できていないのです。土には、新たに苦土石灰と牛糞肥料と培土用の土を追加して混ぜました。栄養的なこともわからずに、なんとなくやっています。本当はこういうのもちゃんと調べないと。

ここ数日は急に真夏日のようになり、土はカラカラです。しかし、明日からは雨の予報。厳しい環境の中で、枯れることなく、病気になることなく、すくすくと育って欲しい、と願います。子どもみたいなものなんですね。

bookmark_borderへちまたわし2号_ Hechima Tawashi Opus 2

2019年へちまたわし試作第2号です。
(第1号についてはこちら
素材はこの子です。この写真を撮った直後、2019年10月7日収穫!

すくっとスリムにまっすぐに伸びて、長さは70センチほど。

へちま

んで、こいつをそのまま茹でたいところですけど大きすぎて全然お鍋に入らないので、今回は4つに切ってから沸騰したお鍋で茹でます。約30分。

へちま断面

切った断面。真っ白な身とタネがぎっしりです。本当にでっかいきゅうりとかゴーヤみたいな感じです。さあ、こいつを茹でていきます。

へちま茹でる

茹でて時間が経つと、身が透明になって溶けていきます。そして繊維質だけが見えて来るようになります。

へちま断面

左は茹で始めのへちま。右は茹でて30分近く経ったへちま。そして、、、

へちまを茹でる

茹でて熱々になったへちまをお鍋から取り出し、冷たい流水を浴びせながら皮をむいていきます。

そしてよーく綺麗に中の方まで洗って洗っていくと、身の溶けたものらしきものやタネが流れ出て、最後にたわしらしきものが残ります。

そしてあとはそれを絞って、干して、乾燥させる、というプロセスです。

へちまたわし

とまあ、こんな感じ。

あとは乾燥させてから出来栄えをチェックすることにしましょう。

bookmark_borderグリーンカーテンらしく。

2019年8月15日。終戦記念日の朝、7時。

いちばんよく行く「真ん中の畑」のへちまは、だいぶわしゃわしゃとして、グリーンカーテンらしくなり、花もよく咲いていました。けれど、残念ながらへちまの実になりそうなものの姿が見つかりません。うまく交配が進んでいないということなのでしょうか。

へちまプラネット計画を進めていくにあたり、今後は私一人だけではなく、多くの人から賛同してもらい協力してもらって、庭や畑でそれぞれにへちまを育ててもらうというフェーズへと移行しなければならないと考えています。

今回初めてこうして自分の畑でへちまを育ててみて、その育ち方をだいぶ理解することができました。一つの発見は、サイズ感です。家庭の庭先で小さなプランターから育てることは可能ですが、栽培ネットやそれを支える支柱はなかなかに大きなものが必要なことは間違いありません。高さは2メートルくらいは欲しいし、幅もやっぱり2メートルくらいあったほうがいい。可能性として台風到来も考慮し、立てるのならできるだけしっかりとした支柱を立てたい。

ってことを列挙してみると、家庭で育てるといっても、意外と場所を選ぶし、手間も多少はかかります。それでも、へちまを育てる余地はまだまだこの街にはたくさんあるだろうと信じています。

bookmark_borderへちまになれ!

こちら、わたしの実家の東側に植えたへちまプランターの様子です。植えた時期が遅かったので、育つのはもうムリかなーと思っておりましたが、7月下旬からの猛暑のおかげなのか、すくすくと育ち、蔓を伸ばして、今日、ようやく、へちまの実らしきものを確認しました。たぶんこのしぼみかけているのが雌花なんでしょうね。すでに雄花との受粉が済んで、ふっくらとしてきたこれがこれから実となってまたどんどんと育っていく、、、ということなのだろうと、ようやっと理解しました。

順調に大きく大きく育ってほしい、と願うばかりです。楽しみ。

bookmark_borderへちまたわし失敗作。

以前「たわしにするには未熟」というタイトルの記事で、沖縄産の食用へちまでのたわし作りチャレンジのことを報告しました。まさにそのタイトルが指し示す通り、食用のへちまはまだまだ未熟で繊維質が発達していないため、たわしには不向きであることが発覚したのでした。あの記事では、へちまを茹でて皮をむいたところまでをレポートしましたが、当然ながら「その続きの物語」が存在します。

繊維が未発達すぎることを自分の手と目で否応なく理解し、こりゃ全然ダメだなーってがっかりしながらも、「もしかしたらこれを乾燥させればふっくらと立体化して見事なたわしにトランスフォームしてくれるのかもしれない」という淡い期待を抱いて、私はその、茹で上げた後に水洗いしてびちょびちょになった、まるでたわしらしくないへちまたわしを、玄関前に広げた新聞紙の上にそっと置いて、日陰で自然乾燥させることにしたのでした。もちろん妻からは「ちょっと!! ヘンな気持ちの悪いものを玄関前に置かないでよ!」という有難いコメント(罵声?)も頂戴し、無言の背中でしっかりと受け止めました。

そして後日、出来上がったのが、上の写真です。

なんというか、、、かんぴょうのような、かんぴょうにも程遠いような、とにかく素晴らしくみすぼらしく、なににもなることができなかったなにか、が完成したのです。ちなみにこの「へちまたわし崩れ」は2本あったのですが、そのうちの1本は我が家で飼っている犬に食べられたそうです。もちろんその時、妻は「ちょっと!! ギン(犬の名前)! そんなヘンな気持ちの悪いもの食べちゃ絶対ダメ!! お腹壊すよ!」と叫んだのだそうです。

へちまたわしへの道のりは、はるか遠く、まだまだ続きます。

bookmark_border雄花と雌花がまだわからない。

4日ほど酒田に行っていました。帰ってきて久々に「真ん中の畑」へ向かうと、へちまの花がいくつも咲いていました。ぽとりと地面に落ちてしまっていたものもいくつかありました。この前読んだ本には、雄花と雌花があって、それを受粉させてやることで実が成るというようなことが書いてあったので、どれどれと思って見てみましたが、どれも雄花に見えて、雌花がどれなのかわかりませんでした。なので今日はとりあえず、花には手を触れず、根元にちょっと肥料を足して、あとはちょっとだけ土寄せして、連日30度を超えてカラカラになった土に水やりをして終了しました。

へちまは、ちゃんと実を成してくれるのだろうか?

私は心配事は、とりあえずそれだけです。

bookmark_borderへちまの花、咲く。

「咲くか?」と思ったのが昨日。そして今日、「真ん中の畑」へ行ってみるとやはり咲いていた。見事にまあ、ぱっかーん、と咲いたもんだ。あとは実を結んでくれることを祈るばかりですな(祈るほかにどうしていいかわからない)。

朝6時からもう蒸し暑いなかを、この日は小一時間ばかり電動草刈機で草刈り。汗がばしゃばしゃと体じゅうから噴出する。土の表面はものすごい雑草地獄である。ここの畑のなかでも特に泥のような粘土質の土質のエリアで、うまく切り拓けずにいるところに、さまざまな雑草がみっしりと生え揃っているのだ。それを丁寧にヴィ〜ンと草刈りしていく。たいして面白い作業ではないが、ダイエットだと思って楽しく畑仕事している。汗が滴るのも、痩せゆくプロセスと思えば心地いい。草刈りが終わるとすでに腕時計に付属している万歩計は10,000stepsをゆうに超えていた。いいものである。

ミニトマトの収穫もけっこうな数になってきた。収穫するたびに冷凍保存している。まもなく、それらは自家製トマトソースになる予定である。

bookmark_borderへちまの花、咲くか?

今日の「真ん中の畑」、16時。一番育ちのいい株が、また一段と大きくなっていた。大雨の降った翌日からここ数日は暑く、30度を超えている。そしてまあまあの日差しが照りつけるなかで、一気に育ったという感じだ。それにしても適当に撮ったというのに、iphoneカメラは優秀である。こんなに背景ボケるのね。

花びららしきものが黄色く蕾んで、さあ咲くぞ咲くぞいつでも咲いてやるぞという感じで態勢を整えている。もはや多くの時間を要すまでもないだろう。

ところで、では、その蕾の首元にいくつもあるゴツゴツはなんなのだろうか。これも蕾の元なのだろうか。こいつらもこれから花になるのだろうか。それともなにか別の役割を持っているのだろうか。

私がへちまのことを理解するには、まだまだ多くの時間が必要のようである。

bookmark_borderへちま、伸びる。

昨日は大雨が降った山形市内。異常な天気の続く2019年。東北はまだ梅雨明けせず。

今朝の空は雲はあるけれども晴れ間もすこし出ていました。早くも蒸し暑い朝6時頃、「真ん中の畑」と呼んでいる畑を少し見て回ってきました。

ようやく、ひと株だけ、2メートルほどの背丈まできました。この株、まだ花は咲いていないのです。これから花が咲いて、うまく受粉することができると、ようやく実をつけることになるのだろうと思います。大きなへちまが成るための道のりはまだ遠いのです。ここで生き残ったわずかな株たちの成長が、順調であることを願うばかりです。

伸びたツルの先にトンボが停まっておりました。見渡せばいつのまにかたくさん飛んでるのです。昨日までは全然気づかなかったし、雨ばかり続いてますが、それでも夏はちゃんと夏らしくなろうとしています。

先日ネットで購入した沖縄産へちま(食用)のネットショップに「たわし用の成熟したへちまを購入させてもらえないだろうか」という相談のメールをお送りしたところ、「残念ながら成熟する前に全て収穫してしまうので」というお返事をいただきました。なるほど、やっぱり全て食用なんですね。丁寧に対応していただいて嬉しかったのですが、入手できずに残念でした。

今年は、私の畑でどれだけの実を成らすことができるのか、まるで想像がつきません。ゼロの可能性もあります。でも、もしかしたら50本くらい成るという可能性だってあると思います。どうなることかわかりません。予想がつきません。だからこそ、買えるものなら買っておきたいとも思うのです。

周りでへちまを作っている人はないか、売っているところはないか、もう少し探してみるつもりです。こんな予定じゃなかったけど、今年は畑の準備も、タネからの芽出しも、いろいろと準備不足だったことに起因していると思います。「段取り八分」といつも語る北村くらた農園の北村くんの言葉が思い出されます。

bookmark_border畑の多様性と、隣との関係性。

山形市内のとある果樹農家さんを訪ねた。シャインマイスカットを育てていた。地上2メール弱の高さに広がる棚から、どわーっと美しく、明るい緑色したぶどうが垂れ下がっているのは圧巻の光景だった。もうずいぶんそれらしい外見をしているのに、収穫まではまだ2ヶ月もあるという。最終的には、一粒ひとつぶが15g以上にまで大きくなり、房としての形が美しい紡錘形を描くと、ようやく良いお値段がつくのだという。そこに至るまでの、ひと房から一粒のぶどうを摘果する作業などを拝見し、ぶどう農家さんの仕事が大変なものであることを、ほんのわずかの時間ではあるが教えていただいた。すごいものである。

その農家さんとのおしゃべりのなかに、「ずいぶん昔に有機農業をめざしていた」という話があった。農薬を使わず、雑草も取らず、畑をできるかぎり自然にまかせるような環境にしてみたのだという。そしたら、隣近所の農家から文句を言われるようになった。周りの農家さんたちは当たり前のように除草剤を使ったり、無駄な雑草を生やさないように生やさないようにしているから、「お前の畑から雑草の種が飛んでくるじゃないか、迷惑だからやめろ」と苦情が殺到したらしい。そうした批判が日に日に強くなり、根負けして、有機農業をめざすことを諦めたことがあったのだ、という話であった。

私も山形市内に2箇所ほど畑を借りているが、そのうちのひとつは、やはり隣の人が全く雑草を生やさない人で、いつも文句ありげな顔でこっちを見てくるからよくわかる。雑草が許せないし、隣から雑草の気配が漂うことが許せないのである。根本的に求めている世界が違うということは、やはり喧嘩の種になってしまうのである。

ちなみに私は雑草容認派である。除草剤や防虫剤の薬品も(今のところ)使わない。肥料は適当に使う。化成肥料を買うことも、市販の油かすを買ってくることもある。あとは、珈琲店をやっている友人の珈琲かすを畑に撒いている。あまり厳密であろうとする気はない。畑は世の中である。ほどよく自由で、多様な生き物が生きられる環境のほうが、なんとなくいい気がする。街と同じである。でも、それも、直感的なものに過ぎない。ただし、できるだけプラスチックを使用しない農業をしたい。それだけがかろうじてのポリシーだと思っている。