bookmark_borderへちま畑で見つけた。

いつのまにか…、という感じで農業に触れています。

畑の草を刈り、土を耕し、肥料を与え、作物を植え、育て、収穫するということがじぶんのなかでだいぶ自然な営みになっていることに、ちょっと不思議な想いがします。朝起きれば畑に向かうという日は多く、プランターに種を撒いて発芽させることも日々の当たり前の作業のように思えている…、一体いつのまに自分はこれほど農業に近づいていただろうか、と。

29歳のころ、仕事をやめ、しばらくフリーだった時期、長野県嬬恋のキャベツ農家に1ヶ月間住み込み収穫作業をしていたことがあります。朝の2時半に起き、まだ真っ暗ななか、車のライトに照らされた畑でおばさんが大地から切り取りおじさんが詰めていったキャベツの箱を、よっこいしょと持ち上げてパレットまで運んでは積み上げることを繰り返す作業を連日やってました。結構な肉体労働だったはずなのだけど、カラダが辛かったという思い出はまったくありません。そのかわり、仕事終わりにもらえるビールがうまかったこと、その田舎町にある小さな雑貨屋で買ったエコーというタバコを吸うのが楽しみだったことを覚えています。

あの時期、わざわざ東京から長野まで移動してあのバイトをしたのは、それまでデザイン事務所のコピーライターとして連日デスクに座りっぱなしで長時間労働していたことの反動だったのだろうと今になってみれば思い当たります。脳みそを使う仕事は昔も今も大好きだけど、ぼくの場合はカラダもちゃんと動かさないと脳みそが活性化しないようです。ただ座りっぱなしでは、カラダが、脳みそが、死んでしまいそうになる。しかしそれは、15年ほども経った今だからわかることです。当時は、座ってパソコンの画面のなかで文字を上手に並べることが仕事だと本気で信じていました。綺麗に文字が並ぶことなどほとんどなかったけれど。

そんなことを久々に思い出した今のぼくはなんと、ありがたいことに、コピーライターをしながら、農業しています。一度捨て、二度と手に入れることはないと思っていたその肩書きをまた持つことになった幸運と、畑仕事までさせてもらえている現在の幸運に感謝します。もちろん、ぼくの農業など、農家の方から見ればお遊び未満くらいのものです。けれど、土を耕すこと、水を汲むこと、草を刈ること、つまり土と向き合うことに、なんとも言えない面白さを感じています。もちろん収穫があるのは嬉しいですが、ただ収穫することにだけ喜びがあるというわけではなく、土の上を歩き、水の重さを感じ、多様な生命のあり方に触れることが、どうやらぼくのカラダにとても良い影響を与えてくれているようだと感じています。