北村くらた農園、2019.8.2 その2

今回、北村くらた農園を見て、いろいろ思うところがありました。

ひとつは「生産性向上の重要性」。私が知っている昨年までの状況と違い、今年は新しい機械が投入されたことによって、枝豆の収穫から脱莢までのプロセスが劇的に進化しており、枝豆が商品化され店頭に並べられるまでのスピードが圧倒的に増していました。これによって、お店でお客さんが待っているのに商品がない、という状況がなくなったのです。買い手であるお客さんの不満も減り、お客さんを待たせているという作り手側のプレッシャーも減り、売上げのスピードは上がる。その日に採れた枝豆だけをその日のうちに売り切る商売を続けている北村農園にとっては、この生産性向上はそのまま収益性改善であり、職場環境改善であり、経営改善です。すごい、と思いました。

へちまプラネット計画

もうひとつは「規模の重要性」。
農業経営、というものを考えるとき、規模感はとても重要だと思います。畑や田んぼの大きさによってどんな機械を選ぶべきかが変わってくるし、どんな機械を選ぶかによって農業経営は大きく変わってきます。農業の投資金額というのは、もちろん土地もあるでしょうがやはり機械設備によるところがかなり大きいのではないでしょうか。枝豆を10年以上やってきた北村くんがここにきて機械に大きな投資をすることになったのも、枝豆の需要を創出し、多くの顧客を作ったことで、枝豆を栽培する畑を大きくすることになったからに他ならないと思います。畑の大きさが、必要な機械設備を規定するわけです。

特に北村くんの仕事を横目で見ながら、あるいは自分で畑を借りてみたりしながら、農業というものをここ数年ぼんやりと考えていました。で、もしも(自分が)農業経営をするのならば、ということを考えた時、まず理想的なのは、ひとつところに(つまり分散された農地ではなく)、できるだけ大きな農地を持つことだろうと思いました。当たり前ですが、小さく分散された畑を複数持つより効率的だからです。それが自分の家の前にあるならなおいい。そういう土地に出会えるかどうかが、(いつか自分が)農業経営に踏み切るための第一歩になるような気がします。果たしてそんな時が来るのか?そんな出会いなどありうるのか? とも思いますが。

農業について考えるとき、「21世紀は大量生産・大量消費の時代ではない」という自分の勝手な思い込みに対し、そうでもないぞ、と思います。どんな時代になろうとも、生産現場は工場であり、そこが工場である限りは、そしてそこで生産されるモノが唯一無二のモノでもない限りは、やはり生産量の追求が行われるはずです。そうでなければたくさんの利潤を生み出すことができません。そしてそうなればやはり「効率」も追わなければならない。それは不変なことのように思われます(ただ「利潤はたくさんでなくともいい」という解答もあるでしょうが)。

大切なのは、そういう工場で働くときに、私たちは「人間性」を失わずに仕事することができるのだろうか、というところです。「身を粉にして働く」「心身がボロボロになるまで働く」というのは決して美徳ではありません。ベルトコンベアの前で人間性を押し殺し、機械のように働くような働き方は、人間の本当の働き方とは程遠いのです。私たちは、畑というのが「生産現場=工場」であったとしても、笑顔で生き生きと働くべきだと思います。ときどきお邪魔する北村農園は私にとってはそういう職場なのです。

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